新製品「小型携帯情報機器」の開発プロジェクトで得たこと。

 「向こうのエンジニアは、個人の責任が大きいですね」
 これは、九六年夏に四〇日間のアメリカ出張を経験した彼の言葉である。彼が海外の企業へと足を運んだのは入社以来初めてのことで、技術はもちろん、エンジニアの考え方なども非常に参考になったという。
 その出張の目的とは、米M社との共同で進めている新製品、小型携帯情報端末の開発である。これは、Windowsパソコンとの互換性を高めた製品。彼はおよそ2年前から、この製品のドライバー部分を担当してきた。
 「これからの携帯端末のニーズとして、完璧にパソコンとやりとりができること、外からでも手軽に会社のパソコンにアクセスできることでしょう。そこで、電子手帳を超えた小さいノートパソコンをつくるというコンセプトで開発を進めています。
 こういう携帯情報端末の場合、ハードの仕様を新しくすると同時にOSも書き換えなければならないケースが多いんです。その辺をカバーするために、ハードに依存する部分をドライバーが、依存しない部分をOSが担当する仕組みになっています」
 ドライバーということで、アプリケーションソフトとはまた違った苦労がある。
 「Cコンパイラなどは一般的なコンパイルをするため動作が遅く、また開発者の意図と違ったプログラムになります。そこで、アセンブラを使っているんですが、思い通りの動作をしてくれる反面、その後のバグの対処などでわかりづらいことが多いんです」
 もちろん試作機をつくるたびにドライバーも書き換える。それだけに、製品本体をつくっているという意識が強く、“形”になって店頭に並んでいる製品の姿を見たときの喜びが大きいのだという。

 当社の製品の中でとくに進展めざましいものとして、デジタルカメラがあげられる。彼は、デジタル画像の研究から製品化、最新製品の「QV−100」まで、一貫してこの製品に関わってきた人物だ。
 「まずは、JPEGのアルゴリズムの研究を担当したんです。カメラに応用する目的ではなく、一つの純粋な研究テーマでしたね。その後、フルカラーのパソコンが浸透し始めた頃から、デジタルカメラの計画が進んでいったんです」
 全く新しい製品だったため、当時はQV事業本部という組織はない。開発メンバーは研究本部の10数名だけだった。試作をするにも、人数が少なくて大変だったという。
 「最初の製品の開発では、チップの設計を担当しました。盛り込みたい機能が多く、それを決められた容量、周波数で実現していくことが難しかったですね。また、ベリログHDLという回路記述言語を使って論理回路を設計したんですが、当時としては社内でもほとんど初めての設計手法だったため、設計以外の部分でわからないことも多くありましたね」
 こうして試行錯誤を繰り返した末の95年3月、初めてのモデルが発売された。発売後は爆発的な人気を獲得し、10数名だった開発メンバーは急ピッチで増え続ける。やがて一つの事業部へ、現在ではQV事業本部へと成長し、完全に一つの事業の柱へと育っている。この間、彼はずっとQVに関わり、いくつかの新製品も生み出した。最近では、自ら希望してソフトの分野に着手。リンクソフトの基本設計に携わっている。
 「これからは、高級志向と手軽なものという具合にバリエーション展開していきたいですね。また、用途としてもパソコンに画像を取り込む以外にも、いろいろ可能性が広がっているはずです。QVの広がりはまだまだこれからなんですよ」
 彼の目は、また新しい目標に向けられている。