長大橋での事業実績をもとに、
東京湾横断橋の工事に参加

 最近、「長大橋」という言葉をよく耳にするようになった。横浜ベイブリッジ、本州四国連絡橋、レインボーブリッジ、建設中のものでは東京湾横断橋や明石海峡大橋まで、次々と大規模な橋梁工事が行われ、当社はこれらのすべてに関わってきた。そして現在は、平成9年の完成時には木更津と川崎を結ぶことになる東京湾横断橋のプロジェクトが動いている。この舗装工事に参加しているのが、入社3年目の中山仁である。
 「当社が担当するのは、航路上の盛り上がっているあたりから川崎側のトンネルに入る手前まで。片側10メートルの両車線を、全長およそ2キロにわたって舗装していきます。一般道路は今までにも経験してきたんですが、橋梁舗装はこれがはじめて。いろいろわからないことも多いので、勉強中の毎日です」

工法、アスファルト合材、機材、
すべてが長大橋に特有の特殊なもの

 そもそも長大橋が実現した背景には、RCではなく鋼床版という鋼材の橋桁を利用したことがあげられらる。軽量で、強度に富むため、スパンを長くすることができるのだ。ところが鋼床版は材質上、熱膨張があり、この上に敷いたアスファルトがひび割れを起こしてしまう。そこでグースアスファルトという半たわみ性をもった新しい合材を使う。
 「グースアスファルトはドイツのアウトバーンなどで使われているもので、日本に取り入れられたのは10年前くらいから。まず第一に材料が違うため、施工方法も使用する機械や設備も異なります。釜を装備した専用の“クッカー車”で、温めたり混ぜたりという“クッキング”をしながら搬入します。通常のアスファルトが180度程度なのに対し、グースアスファルトは250度という高温で、しかも温度が低下しないうちに施工し、フィニッシュしなければいけないのです。また、鋼床版上に夜露などがあると、あとで気化してしまうので、ヒーター車を使って水分を除去しながら、工事を進めていきます。グースアスファルトの施工でノウハウを持っている会社は日本には少ないし、グースアスファルト用の設備を持っている会社も数えるほどなんです」

1年8カ月かけて、
空港島内の主要幹線道路が完成

 1994年9月、海上に浮かぶ関西国際空港がオープンした。坂下康一は、開港直後に空港島を訪れ、改めてビッグプロジェクトが完遂したという手応えを感じたという。
 「エプロン舗装と空港島内の主要幹線道路の両方を当社が行いました。私が担当したのは、主要幹線道路のほうです。一般の人が通る道路は、ほとんど当社で担当したところといっていいと思います。面積的にも一度の工事で、これだけの大きさのものはまず前例がないでしょうね。材料も膨大ですし、しかもはじめのうちは船で搬入していたので、風で欠航して材料が届かなかったり、工程管理でずいぶん苦労しましたね」
 工期は舗装だけで1年8カ月。はじめのうちは7〜8人の社員で進めていたが、最盛期には22〜3人に増え、下請協力会社のメンバーも200人規模にふくれあがった。

工事中、人工の空港島は、
不規則に、大幅に沈下していった

 「とにかく大変だったのが、水深18メートルの場所を埋め立てた人工島だということ。海底の地盤は軟弱なので、空港島自体の重みによって開港後50年で10メートル以上も沈下するといわれています。しかも全体が一定して沈下するのではなく、部分的に沈んでいく不同沈下なのです。工事中は1日1ミリくらい沈下していましたね。それも構造上、大きな建築物がある部分が下がりやすく、空港島の中央部ほど沈下していくのです。
 そこで、構造物班、舗装班、測量班と3つに分け、測量チームが1カ月に1回、測量し直しました。建築物はジャッキアップできる構造になっていますが、道路はそうはいかない。面積も広いし、距離も長いので、不同沈下の影響を受けやすく、いびつになります。中には半年で5センチも沈下している部分もありました。道路は3〜6層の舗装が施されているので、下がった部分を舗装し直して対応していたんですが、中央部分は1年で50センチも沈下したんです。これはもう施工技術では補えないので、設計変更になりました。そのため工期もきつく、ギリギリになってやっと仕上がったのです」  ビッグプロジェクトは技術的にも注目を集めるものが多い。実際に形にしていく技術者にも、未知との戦いつきまとうのである。